なでられてる犬の気持ちはいかがなものか?
学校からの帰り道、外につながれてる犬はいやおうなく子ども達になでられる。いや凶暴な犬ならなでられないけど。子ども達になでられる人生を過ごす犬がいる。
僕もいた。小学校の時の近所の田中さんの家の犬はおとなしくてよくなでてから家に帰った。そこが通学路だったから。
そういう犬はある意味幸せなのかもしれない。自分の家の立地条件が良かったから通りかかる子ども達に毎日毎日かわいいかわいいとなでられる。
東京だと今どき外につながれて飼われている犬は少ない。東京じゃなくてもそうかもしれないけど。
でも家の近所にいる。今どき珍しく外につながれて暮す犬が二匹。両方とも柴犬。
片一方の犬が通学路、もう片一方の犬が人通りの少ない通りに面した家で飼われている。
通学路の犬は子どもになでられる。そいつはいい。問題はもう片一方の人通りの少ない通りの犬。
この人は絶望的な顔をして暮らしている。あんまり散歩にも連れてってもらってない様子。表情が死んでる。
いつもボンヤリ通りを眺めている。人がたまに通りかかっても興味をしめさない。夏の暑い日なんて虎の敷き皮のようにベチャーと「もーどにでもしてー」って感じでお腹をコンクリートにくっつけてうつ伏せ状態。暑いんだろう、とっても。
この両方の柴犬のことを考えると立地ってのは重要だなと思う。
たまに犬の住んでるとこ交代すりゃいいのにな。なんて勝手に思う。
人通りの少ない犬は死んだように暮らしているがサイレンには反応する。
いわゆるたまにいるサイレンが鳴るとサイレンと同じように鳴く犬だ。
僕にはそれがその犬の悲しい叫びに聞こえる。
嘘。
聞こえない。
うまくまとめようとしてみただけ。うまくないけど。
けど、普段おとなしく死んだように暮す犬がサイレンと共に叫んでいるのを聞いて何ともいえない寂しいわびしい気持ちになる。