バカな頭で考えた!

唯野さんからの「あまっちょろいラブソング」感想文全文掲載!

女優であり作家であり映画監督である唯野未歩子さんから「あまっちょろいラブソング」を見ての長い感想文がメールで届きました。

僕は唯野さん原作、監督の「三年身籠る」という映画で助監督をしました。あれは2005年の話です。「三年身籠る」今、世の中で大騒ぎになってるオセロの中島知子さん主演の映画です。中島さんの妹役は奥田恵梨華さんです。それが縁で奥田さんには僕の一本目に撮った「バカバカンス」に出てもらいました。それは2006年の話。

そもそも「バカバカンス」は唯野さんの「宮田さんのシナリオないんですか?」の一言で書き上げたシナリオです。あの一言がなければ怠惰な僕はシナリオ書いてなかったでしょう。そうなると今頃どうしてんだろか?

なんて妄想してる字数はありません。この後に唯野さんの長い「あまっちょろいラブソング」感想文が控えてますからね。

話を進めます。

こないだ「三年身籠る」の上映があったんです。その案内を送ってもらったので見に行きました。上映後久しぶりに唯野さん達と飲みました。

終電を逃しその勢いのまま深く飲みました。へべれけになった唯野さんは最新作の小説「ほんとうに誰もセックスしなかった夜」をくれました。

ありがたく頂きました。もう何冊目の小説でしょう。唯野さんは小説版「三年身籠る」以降もう何冊も小説を出してます。「正直な娘 」とか「走る家 」とか「ぼくらが旅にでる理由」とか「きみと澄むこと」とか。毎回買って読んでますが今回はまだ買ってなかったのです。ラッキーです。あ、嘘です。「ぼくらが旅に出る理由」は唯野さんにもらいました。

しかし、そんな細かい訂正をしてる場合じゃありません。感想文を早く載せなくちゃ。

で、です。夜更けまで飲んだ次の次の日のことです。出かけようと部屋のドアを開けるとポストに郵便物が入ってます。それなりの厚みと重量です。差出人を見やれば「唯野未歩子」の文字。駅へと向かいながら封筒を開けばそこには「ほんとうに誰もセックスしなかった夜」が一冊。と共に「こないだお渡し出来なかったので郵送します」と書かれたハガキ。

これは••

どういことなのか?既に俺の部屋には「ほんとうに誰もセックスしなかった夜」が一冊。そして手元には「ほんとうに誰もセックスしなかった夜」が一冊。

「ほんとうに誰もセックスしなかった夜」と「ほんとうに誰もセックスしなかった夜」

「ほんとうに誰もセックスしなかった夜」が二夜。

二夜か••

その意味を考えます。

考えます。バカな頭で考えます。

唯野さんのことです。きっと何か、そう、これには何か深遠なる意図があるのではないか?

いや、しかし••

あの日の唯野さんはヘベレケだった。

そういうことよ。そういうことだ。俺に渡した「ほんとうに誰もセックスしなかった夜」は忘れてしまった夜だ。そんな夜だ。

だから返送することにしました。貴重な一冊。うちに「ほんとうに誰もセックスしなかった夜」が二冊あってももったいないさ。その一冊は誰かに唯野さんがあげればいいさ。

しかしです。ただ「ほんとうに誰もセックスしなかった夜」を返送するのもあれでがんす。「あまっちょろいラブソング」のDVDとパンフも同封して送り返しました。今まで撮った「バカバカンス」も「セバスチャン」も見てもらっているし、実は「あまっちょろいラブソング」のシナリオ書いた時も唯野さんに読んでもらっていました。ただ、その時の唯野さんのシナリオに対する改定案は根本的な大きな直しになるものでした。で、結果ほとんど反映されることのないままのシナリオのままで撮影しました。なので、あんま気にいってもらえないだろうなぁと思いつつ送ったのですよ。

それから数日。もうとっくに着いてる頃だと思いながら音沙汰がありません。あれ、やっぱり実は唯野さんは僕に二冊渡したかったのにマヌケなことに送り返してきたもんだから気悪くしてんじゃね?って思ったり。でもなー「ほんとうに誰もセックスしなかった夜」が俺に二夜あっても••

「ほんとうに誰もセックスしなかった夜」を折につけ読み進めます。まだ「ほんとうに誰もセックスしなかった夜」にはなりません。どんな夜なんだ?ほんとうに誰もセックスしなかった夜はどんな夜なんだ?

そんな俺、いや折、メールが届きました。唯野さんからです。二冊渡してしまったことを詫びる文面と共に「あまっちょろいラブソング」を見たら感想をメールするとありました。ほっとしました。で、今度は逆に感想を聞くのが怖くドキドキしてきました。数時間後メールが来ました。昨日ブログで書いたメールがそのことです。長い長いメールでした。

夕べはそのメールの余韻で幸せな夜でした。

で、一夜あけて今日。せっかくあんな事書いてくれたんだから、あの一部分を「あまっちょろいラブソング」のホームページに載せたい!まだまだ「あまっちょろいラブソング」を上映したいし、ちょっとでもそのきっかけになればうれしい。

ってことで唯野さんにあの胸、いやその旨をメールしました。

と、返信。

OKです。そればかりか一部抜粋するだけじゃなくてメール全文載っけたら面白いんじゃないかというご提案。

う••その発想はなかった。どうしよう?改めてメールを読み返します。グジグジ考えます。どうしようかなぁ?でもメール書いた本人が載っければいいって言ってるんだしなぁ。でも、何か自慢してるみたいだしなぁ•• そんなメールのやりとりを数回。しばらく考えました。

で、決めました。載っけます。

ええいパパよ、いや、ままよ。

載っけます。

コピペしますよ。フォント変えますよ。いいですか皆さん。覚悟して下さい。とっても素敵な文章ですよ!

それではお届けします!張り切ってどうぞー!

 

宮田さん

いま「あまっちょろいラブソング」拝見いたしました!
このアドレスは、パソコンからです。
ちゃんと感想を書きたくて、突然で、すみません!
一度パソコンが大破し、宮田さんのPCアドレスがわからなかった!

それで、この映画、とーーーってもよかった!
いい、いい!!
すごくいい!!
宮田さんのなかにある、いろんなものが、もっとも善きかたちで、
結実したように思いました。宮田さんという人物と、この映画はイコールだった。
それは、偶然なのか、狙いこんだのか、わからないけれど、
わたしには偶然のようにみえた。偶然を、でも見逃さず、真摯に受け止めて、
偶然以上のものにし、必然とまではいかないまでも、「いま」という時間として、
フィルムに定着させた。それこそが、時間芸術である映画のみがなしうることだと、
すごく思った。

なにせ、宮田さんの映画なのに、歯がゆくなかった! そこが、すごい!

宮田さんは「せつなさ」を描く作家だと思う。
そして、いままでの作品は「歯がゆさ=せつなさ」として描いてあったと思う。
いいかえてもいい。「せつなさ」を描くために「歯がゆさ」を用意していた。
主人公のむきあう現実の、ままならなさを「歯がゆさ」として展開し、
観客に味あわせながら、ともに挫折させ、ある青春の残滓を提示していたのだと思う。
でも、今度のは違う。まえより、ずっと「せつなさ」をみきわめている。
人生はなぜ、せつないのか。
だから、作中で主人公は「青春が長引いただけ」と言い、
映画そのものが「青春は終わった」と謳ってはいるけれど、
それは、すでに人生の映画だと思う。

いままでと、おなじドラマツルギーなのに、いままでとは違う。
それが、なにかと問われると……。

まず、主人公をみつめる眼差しが、大変に客観的で、とてもよかった。
それは長回しと、カット数のすくなさ、ストイックな演出に、集約されている。
いままでならば「ちょっとおかしい笑える台詞」も、
今回の作品では、極力おさえられ、ごく自然な会話として、どんどん流されていく。
役者の自意識も同様に、ぐっとおさえこんでいる。
みるべきものが、はっきりしている、というかんじがする。
それで、いいのだと、わたしは思う。むしろ、そうあるべきだ、と。
だって映画なんだもの。
眼差しが確かであること、浮ついていないこと、腰をすえていることが、
いままでの作品と、あきらかに違っていて、
テーマ(青春の、日常の、心のきびのスケッチ)は変わっていないのに、
それが、そこにいる登場人物たちに、ある重たさーー体重のようなもの、
もしくは立体的であるということ、立体から生じる陰のようなものーーを与え、
「人間」を描きだすことに成功したのだと思う。
ああ、この女の子がそこにいるんだな、と、ある重たさをもって、
観る側にさしだされているようにかんじました。

もうひとつは、キャスティングが、とてもよい相性だったのだろうと思う。
ヒロインの「透明感、かたくなさ、ぎこちなさ、清潔さ」が、
わたしのみている宮田さんと、とてもよく似ていて、顔もどこか似ていると思った。
ヒロインに監督自身が重なることは、いままでの宮田さんの作品にはなく、
女の子は常に「未確認物体」「謎の生命体」として描かれていた。
でも、今回のヒロインは宮田さんの分身だった。
分身でありながら(で、あるからこそ)客観的に眼差しがとらえ、
その距離感は、映画的な構造として、いまだかつてないほどのマッチングだったと思う。

また、ヒロインについていえば、彼女の芝居のつたなさが、好感そのものだった。
手放しで『芝居がいい』というタイプの芝居ではないけれど、
素人のもつ(人生で誰しもがたった一度しかできない)初々しさが、
彼女のキャラクターとあいまって、
ぶっきらぼうで、そっけなく、棒読みと棒立ちなのにもかかわらず、
そこに「女の子がいる」というリアルさへと繋がっていたようにみえました。
だから素晴らしいと思った。

彼女のもつ個性は、
「自意識は強いが、透明感がある。そこで『なにもしないでいる』ことには堪えうる強さをもち、
なにかをみようと、じっと目を見開いている。しかし、それは『台詞をしゃべるとき』になると、
まばたきがぐっと多くなり、緊張していることが伝わってくる。その佇まいとは裏腹な仕草は、
誰ともうまくコミュニケーションがとれない人物像にとってかわり、
また、『歌うとき』になると、とたんに自信に満ちあふれる。そして、とりわけ声がいい。
台詞にせよ、歌にせよ、声そのものが、大変に雄弁で、儚く、清潔だ」
と、わたしは思いました。
そのヒロインの肉体性、身体性が、映像を支配し、
彼女自身がもつ思い「音楽が好きだ、わたしにはそれしかないのだ」が、
おなじ思いを抱くこのヒロイン像と重なり、
やがてヒロイン役を越えて、彼女自身の厳然とした思いのほうが勝っていき、
映画がその彼女の思いに追従していく。
そこに、緊張感が生まれる。

この、緊張感こそが「いままでになかったもの」の、もっとも大きいところかなと、
わたしは思いました。緊張感ばんざい! 宮田さん、ばんざい! と、
声を大にして、いいたいくらいです(笑)。映画はこうでなくっちゃね、と(笑)!

にしても、わたしはですね。
『ヒロインと、結婚式の司会のおじさんが、偶然に会って、呑むシーン』の会話で、
「へんな電車に乗っちゃったんだよ」と、おじさんがいいますね。
わたたしはてっきり「その電車、運転手はわたしなんですか?」と、
心のなかでヒロインの返答を予測しました。
だけど、ヒロインは「どこへむかっているんですか?」と答えるという。
理性的だなあ、と、すごく思った(笑)。
わたしがとんちんかんなだけじゃない、宮田さんが理性的なのだ、と(笑)。
この体質の違いが、宮田さんとわたしの個性の違いなんだなあ、と、
頭のかたすみでうっすら思い、すこしおかしかったです。

それに、宮田さんは物語には興味がないんだなあ、と、
今回ははっきりとかんじました。
ということは、よいキャストと、そのキャストにたいする適切な距離にさえ恵まれれば、
いくらでも、いつまでも、映画をつくる必然ーー欲求が、
宮田さんにはあるのだと思いました。
これからも、ずっと。不確かな世界を、確かな眼差しで、みつめ続け、
人生の「せつなさ」の溢れる映画を、頑張って、つくりつづけてくださいね!!!!!

唯野未歩子

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