バカな頭で考えた!

地震〜ある青年の愚かな手記(その1)

地震でした。とっても揺れました東京も。

僕は全然無事でした。

まだよく揺れますね。スーパーの棚も空ですね。

ツイッターをよく見ている。

デタラメなデマをつぶやく人、心がほっとすることをつぶやく人いろんな人がいます。

有用な情報もどんどん出て来ます。もちろんそうでないのも。

こんな折、とある愚かな青年の手記が発見された。

どうやら、神戸の地震のすぐ後に記憶が薄れる前に書いたもののようだ。

なので本人の承諾を得てここに引用する。

とても愚かだ。

     地震体験記

1995年 1月17日 午前5時46分

 僕はその晩三時ごろまで二日後に控えた卒論をチンタラとやっていたので。当然その時間は熟睡中だった。だから、午前五時四十六分

その瞬間、信じられない笑っちゃうくらいなまず号な揺れの中で僕は、これは夢だと思った。

 事実、いつも電気をつけっぱなしで寝るのに真っ暗だ。夢だ,夢だと思ってると、突然僕の体の上にバサバサと色々な物が落ちてきた。うわぁと叫びながら手でガードしながら何か体育館のマットの上でみんなに次々と乗っかられてるようなそんなちょっと楽しいというかそんな感じだった。

 さて揺れもおさまり、落ちるものも落ちて、さぁこれは夢か現実かと頭をひねってる僕の鼻に何やら異臭と、耳にはジリジリと激しいベルの音、下の方で(僕の部屋は8階)ワンワン泣いてる子供の声、などが入ってきて、体の上には確かな重量感を感じ、これはどうも夢じゃないなとようやく思い始めた。と、ここまで夢だと信じていたのには、理由がある。実は、何日か前に、マンションが激しく揺れ道路に倒れるという夢をみていたから、またそれだと思ったのだ。何が起こったのか、僕のマンションにダンプでも突っ込んだのかとも思った。僕のマンションの前はまっすぐの道なのに何故か不思議と事故が多いのだ。ベルが鳴ってるので火事が起こったのか。でも、ああいうベルというのはどこかあてにならないし、とりあえず起き上がって窓の外を見ようとするけど、行けない。真っ暗で分からないけど、足の踏み場が無いのだ。ひらべったい所が無い。よく足の踏み場がないという言い方をするが、そういう言い方はまさにこうした状況のために使わなきゃならぬ。真っ暗な中で何か様々な物を踏み、乗り越え窓にたどりつき外を見ると、モヤモヤ煙がたっている。こりゃ本格的に火事だ。おまけに僕の部屋からずっと変な臭いがしている。ガスだ。手探りでガス栓を閉める。早く脱出しないと8階の僕の部屋はタワーリングインフェルノ状態になってしまう。コート一枚はおって裸足のまま靴を履き廊下へ出た。

 すると、隣の部屋からもガチャガチャと音がして玄関の方へ来る気配がある。一人で心細かったし、もし隣の人が家具の下敷きか何かになって身動きとれなかったら、助けなきゃいけないと思い、ちょっと様子をうかがっているとまもなく隣人だ出てきた。近所つきあいなどまるでないので初対面だが、そんなことは関係ない。とりあえず一緒にマンションを脱出することにした。当然エレベーターなど止まっているので非常階段を「えらいこっちゃえらいこっちゃ」と大阪弁で思いながら下り、外へ出ると、果たして外は真っ暗だった。というか、いつもなら点いているはずの街灯が消えている。そして何かモヤモヤしている。目の前の小学校に避難しようと歩き始めて、五歩ぐらいして「あっビデオ」と思った。何かよく分からないけど、とてつもないことが起こっているみたいなので、これはビデオカメラまわしたら、凄い映像が撮れると思ったのだ。そして僕はきびすを返しマンションに戻り•••••嘘である。そういう考えがよぎったのは事実だが、直後に「それどころじゃない」とも思ったのだ。隣人と小学校に向かうべく信号の所へ行く。消えている。おまけに信号の所にあったタバコ屋がぶっつぶれている。それが、それから大量に見る倒壊した家屋の第一号だった。

 小学校には続々と人が集まってきた。多くの人がパジャマに何か羽織っているような状態だった。布団を体に巻きつけている人たちもたくさんいた。どこかウッドストックみたいだと思った。布団を体に巻きつけている人は後ろから見ると、昔とんねるずがCMでやっていた「ヤリガイさま」みたいに見えた。パジャマはいわゆる普通の開襟のものよりスウェットの上下のいでたちの人が多い。どーでもいいけど。

 隣人とペラペラと喋り続ける。静岡出身で神戸大学の学生らしい。客観的に見て地震が起きてことは事実のようだけど、どうにも信じられない。というか関西は地震は無いという思い込みがあるし、あの揺れは(夢うつつではあったが)地震としては僕が想像するレベルをこえていた。あんない揺れていいのか、ちょとやり過ぎじゃないのか、常識ないぞ君、というレベルの揺れだった。その時点では、僕たちは震度がいくつかなんてことはわからないから、とりあえず得体がしれないことが起こった、って感じだった。隣人は静岡出身だから地震には慣れているけどあんな揺れは初めてだと言っていた。

 しばらく小学校にいた後、じっとしていても寒いので(何せ裸足に革靴だ)そこらを歩くことにした。暗くてゆく見えないけど、街がすっかり変わっていることがおぼろげながら分かる。これからどうなるんだろう。今何時だかすらわからない。火事の現場にたどりつく。消防車一台で消火している。その消防車はちゃんと水は出ていた。けれども一台ではいかにも心細いぐらいの勢いの火事だった。延焼をくい止めるために隣家へ主に水をかけている。僕らはそれをじっと見ていた。ヤジ馬だ。そして正直な所、いいかげんなかっこうのままで出て来た僕には燃えさかる火があたたかかった。でもそのことはちょっと口には出せない。すると隣人がポツリと「不謹慎なようですけど、あったかいですねえ」と言った。気持ちは一緒だったのだ。

 火事を見ながら関東大震災のことを思い、この時間じゃなかったら(その時は何時だかわかってないけど)もっと火事が多かっただろうなと思った。

 またロス地震を思い出し、あの時商店からの盗みがあいついだことを思い出した。すると僕の心に邪悪な気持ちが生まれた。倒れた自動販売機から、あったかい缶コーヒーの一本ぐらい盗めないか。そして、そのことを隣人に告げると隣人はすっかりヤル気になってしまった。言い訳するようだが、僕らは寒かったのだ。ほどなく自動販売機を見つけた。その自販機はどーもだめそうだなと思ってると、隣人は取り出し口に手を突っ込んでガチャガチャとやりだした。すると「何してんねんオラ」と怒鳴る声がする。暗くて見えなかったが、その自販機を置いてる店の主人らしかった。僕たちに向かった「何してんねんお前らオイこら」と激しく怒ってる。「何もしてないですよ」とスゴスゴと退散した僕らだったが、急速に反省した。あのおっちゃんが怒るのも無理もない。自分を最低の人間だと思った。少し落ち込みながら。また小学校へと戻った。段々と夜が明けてきた。

(続く)

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