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「ソ連にミサイルをそれん!」
ってだじゃれを言ったのは小学校五年生くらいの時で友達の誕生パーティーの中でのだじゃれ言い合い合戦のコーナーの中でのことだ。
友達の誕生パーティーと言うか誕生日会でなぜそんなコーナーが設けられたのはよく分からないけど、当時だじゃればかり言ってた記憶があるから
その流れで行われたのだろう。
そして覚えてるのは、そのだじゃれ言い合い合戦には友達のお父さんが審査員として参加していたことだ。
友達のお父さんは地元の高校の先生で野球部の監督もしていた。その流れでだじゃれ言い合い合戦の審査員に就任したのだろう。
いや、そんな流れはない。
友達のお父さんは小五の息子の友達が次々に発する「下手なしゃれはやめなしゃれ」とかそんな類いのくだらないだじゃれに「それ面白い!」「いい!」「バツグン!」などといちいちコメントしていたのだ。
当時は何とも思わなかったけど、今は思う。
何てやさしいお父さんなんだ。
考えてみればあの父さんは今の僕ぐらいの年だったんじゃないだろうか?
僕に息子は居ないけれど、というか奥さんもいないけれど、それはともかく妄想する。
自分の息子が「ねーねーお父さん今度の僕の誕生日会でだじゃれ言い合い合戦するんだけどさー、その審査員やってくれないかなー?」
って言って来たら。そんなことを言って来たとしたならば。
「嫌だね」
って答えるだろう。
いや答えない。
性格的にそんな言い方は出来ない。
「えー、うーんだじゃれ言い合い合戦かー、うーんお父さんだじゃれはなー」
なんてブツブツ言いながら何とかその審査員に就任することを回避することだろう。
それに引き換えさかのぼること30年くらい前の友達のお父さん。
何て男らしく頼もしいことだろう。
審査員になったお父さんは子ども達が次々に繰り出すだじゃれを基本的にほめていた。
「おもんな!」とか「しょうもな!」とか言わなかった。
というか当時はそんな言い方しなかったし。
しかし唯一否定的な審査を下しただじゃれがあった。
それが冒頭の(何が冒頭だ)
「ソ連にミサイルをそれん!』
そのだじゃれを僕が言った時その時だけ、優しい審査員は
「それは良くないな」
って言ったのだ。
そのことは妙に覚えている。だって、どのだじゃれも褒めてくれる審査員だったし、僕は秘かにそのだじゃれには自信を持っていたし。
だのに
「それは良くないな」
って。
「台湾に行きたいわん!」
って言った友達のてっちんのだじゃれはあんなに褒めてたのに。
「ソ連にミサイルをそれん!」と「台湾に行きたいわん!」
同じ外国だじゃれとして相克をなしてるではないか!
て、小五の僕は思った。いや思わなかった。けど、何だか腑に落ちなかった。
てことを、今回の北朝鮮のロケットいやミサイル騒動で思い出した。
あの当時圧倒的にソ連は悪者だった。少なくとも田舎の小五の僕はそう思ってた。で悪気なく
「ソ連にミサイルをそれん!」
無邪気に言ったよ小五の僕は。
しかしその約10年後ソ連は崩壊して悪者ではなくなった。
で今の悪者は北朝鮮だ。今の小五はそう思ってるだろう。いや分かんないけど。今時の小五はもっとかしこいかな。
今、小五の子があと30年経った時にそんな未来には、またどっかの国が悪者になっていることだろう。
いや、どこの国も悪者になってなければいいけど。
悪者を作りだすんだな。国ってのはそういう相手を作り出すんだな。
って大人になって思うけど。
「台湾に行きたいわん!」
て、かつててっちんが言ってた台湾には10年程前にドラマの撮影で行きました。
台湾に行くと決まった時、頭の中で思い起こされた言葉。それは当然
「台湾に行きたいわん!」
小五から言い始めて約20年後ようやく台湾に行きました。
市場の中で撮影をしていると通りかかった老人に声をかけられました。
「何かお困りのことはありませんか?」
と日本語で言われました。
老人は台湾人です。昔、日本に占領されて日本語で教育されてたから年配の方は日本語話せる人もいるとは
知ってましたが、まさか向こうの方から日本語で喋りかけられるとは思いませんでした。
意外に親日家の人が多いとは聞いてましたが。
かつて戦争してたのに。
「台湾に行きたいわん!」
って言ってたてっちんがその後台湾に行ったかどうかは知りませんが、思います。
も一度
「台湾に行きたいわん!」